YUKIちゃんから頂いた月暦のカレンダーをまた一枚めくりました。あっという間に11月です。HRCのテラスのブナ爺さんが雨にぬれながら黄金色に輝く10月の冷たい雨の日、林檎やさんに行く為に下山し、到着した数分後、彼(オーナー)からの電話でした。母がお気に入りの4年前にNHKで放映され幻の林檎といわれているお月様のような黄色い林檎のぐんま名月が収穫の時期を迎えるにはまだ少し早く、(今年は11月6日~)前の日にもいだ真っ赤な林檎(陽光)ひとつと、兎年の母に宛てるために買っておいた兎と月の便箋に「ぐんま名月を手土産に参上するまでには、もう少々時間がかかります。楽しみに待っていてね。」とメッセージを添えて、林檎やさんの昼休みに投函する予定が急遽その林檎をひとつだけ握り締めて、母に会う為に雨のハイウェイを何故か彼(オーナー)が飛ばし私は助手席で電話を取りました。「Lilyちゃん、義母さんお家に帰って来るから慌てないでゆっくり来てね。」といつもはとびきり明るい義姉からの哀しい声の電話に愕然としました。涙で前方が見えないくらいとめどなく溢れました。
実家に着いた時、どんなときでも笑顔で迎えてくれた母は居なくて、その代わりに私の大切な家族が全員ギュウギュウ詰めで家に居ましたが、久しぶりの再会というのにそこには笑顔ひとつもありませんでした。90歳まで現役で仕事をしていた母は後にこの5年間殆んど欠かさず日記を書き続け、永遠の眠りに付くその前日に今日の無事の終わりの感謝と仕事が生きがいの母から、明日生きる為の生きがいとなっている絵手紙のことが綴られていることを知り、「ただいま。あらあら、どうしたの?こんなに皆が集まってくれて、何が始まるのかしら?」と今晩の夕飯の食材と花を抱えながら買い物に出かけた母が入ってくることを信じていましたが、数時間後に帰って来た母は言葉も無く何ともいえないほど美しく眠っていました。が、その美しい顔を触ると冷たくてその事実を受け止めざるを得なくてはならないことを実感しました。
果物とお花が何よりも好きな母は、私の友人や、私達が手がけた農作物を喜んでくれ、初夏にはさくらんぼとラベンダー、夏にはブルーベリーや野菜、初秋には葡萄、そして雪降る前の林檎(ぐんま名月)を待ちわび、「1番最初に描けた絵手紙は私に送ってね。」と9月5日に95歳になる1日前に葡萄を届けながら、お誕生日のお祝いをし、一緒に選んだ絵手紙セットをプレゼントし指きりげんまんした母は、真っ赤な林檎とみかんの絵手紙の予行練習を前日に描き、宛名のまだ書いていない一枚の林檎の絵を残し2010年10月21日永眠してしまいました。
花のように優しくて美しく、しなやかでその上強い心を持った母のお通夜にはうさぎ年の母にふさわしい、ぐんま名月のような満月がそれはそれは美しく浮かんでいました。初七日を終えるまでの1週間24年振りの長期滞在の故郷柴又は、私に沢山の思い出を甦らせてくれ、風に吹かれ母と一緒に歩いた道をゆっくりとゆっくりと歩き、立ち止まり、沢山のありがとうを言ってきました。帰宅したHRCのテラスのブナ爺さんはすっかりと黄金色から姿を変えていましたが、まだ土に還ることをしないで、私の帰りを待っていてくれました。
love. Y
嬉しいときも楽しいときも辛いときも哀しいときも常に感謝を忘れず、自分のことより人の為に生き抜いてきた母。皆様方に愛されながら旅立ち、月うさぎとなった母の娘であることに誇りを持ち大切に毎日を過ごして生きたいと思っております。ご心配下さった私の大切な方々に心より感謝いたします。
追・最後に母と柴又で見た夕焼け空の美しさに感動したことを思い出させてくれるかのように、帰宅した翌日、母の大好きな林檎(ぐんま名月)の畑の空に同じ夕焼け雲が浮かんでいました。
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